人気女優の篠原涼子さんの若い頃には黒歴史と思えるようなバラドル時代がありました。
セクハラ・パワハラ、コンプラ違反の概念すらなかった時代です。
篠原涼子さんの若い頃、黒歴史・セクハラ横行のバラドル時代に人生の師匠とは、当時の動画と画像も入れてまとめました。
篠原涼子の若い頃!セクハラ横行のバラドル時代
篠原涼子、アイドルグループに
生年月日:1973年8月13日(46歳)
デビュー:1989年(16歳)
篠原涼子さんはオーデイションに合格して特撮ドラマ『高速戦隊ターボレンジャー』に1話だけ出演したのが芸能界入りのきっかけ。
そして、1990年(17歳)に「東京パフォーマンスドール」という7人組のアイドルグループで歌手デビューを果たします。
CMソングになるなど所属事務所のプロモーションもありましたが、アイドルグループとしてもブレイクすることもなく、当時は篠原涼子さんも全く無名の存在です。
画像の7人の右端にいるのが篠原涼子さん。
ところが、グループメンバーの中から篠原涼子さんが抜擢されて1991年(18歳)からバラエティー番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演となります。
おそらく篠原涼子さんはバラエティー番組でお笑いと絡むアイドル「バラドル」のはしり。
篠原涼子、NGなし?のバラドルに
この『ダウンタウンのごっつええ感じ』に篠原涼子さんが出演していた1991年から1993年という時代は、テレビ番組にもセクハラ・パワハラとかコンプラという言葉や概念すらないころ。
なので、番組ではダウンタウンというか番組スタッフの要求が全て。
出演者のアドリブを含め、セクハラ・パワハラ、コンプラ違反のオンパレードで今の時代なら完全にアウト。
しかし、アイドルグループにいた篠原涼子さんはお笑い女芸人がギリやるようなことを体当たりでやり切っていたようです。
しかも、当時の篠原涼子さんは18歳の未成年。
もしハロプロ研修生が今そんなことをされたら事件ネタというレベルのもの。
篠原涼子、セクハラ横行のバラドル時代
浜田雅功のセクハラは動物的本能?
浜田雅功さんが篠原涼子さんにコントの中で無理やりおっぱい揉みというもの。
これは酷い、衝撃的な映像です。
スイッチが入って調子に乗ってしまった浜田雅功さんのアドリブなのか、番組スタッフからの指示なのか、、
セクハラ、パワハラ、コンプラ違反確定ですね。
当時、放送事故ともされなかったことが不思議です。
松本人志のセクハラは究極のコント?
こちらは、松本人志さんの有名なセクハラコント。
叩かれたり突き飛ばされたり、胸や下半身を触られたり散々の篠原涼子さん。
これも酷い、、
これは究極のコントだと思われますが、、
篠原涼子さんの涙する姿も、、
東野幸治のセクハラはお笑い確信犯?
こちらは、東野幸治さんが篠原涼子さんにコントの中で無理や押し倒してキスというもの。
これはコントというより、ほぼ確信犯、、
東野幸治さんにスイッチが入ってしまい、度を越えてしまったのでしょう。
その後「スタッフは笑って見ているだけで(誰も止めてくれなかった)、、」と篠原涼子さんが当時の様子を語っていました。
映像ではかなり嫌がって抵抗していましたが「嫌だったけど、スタッフが笑ってくれたのでよかった(救われた)」と付け加えています。
蔵野孝洋(ほんこん)のセクハラはただの確信犯?
しかし、蔵野孝洋(ほんこん)までもが『ダウンタウンのごっついい感じ』のコントの中で篠原涼子さんに無理やりキスをしていたようです。
しかも、篠原涼子さんが無抵抗なことに気を良くしていた蔵野孝洋(ほんこん)が、他のバラエティー番組のスタジオ放送中、同じく出演していた篠原涼子さんを無理やり押し倒してキスをするという、、これも確信犯、、
さすがにスタジオには笑いも起こらず、、引かれていたそうです。
この後から、篠原涼子さんのことを忖度した一部のテレビ局は、蔵野孝洋(ほんこん)との共演をNGにしたそうです。
篠原涼子、黒歴史・バラドル時代に人生の転機
『ごっつええ感じ』で無理矢理キスさせられたり、胸を鷲掴みされたり、漢字が書けない事をコントにされたり、若手芸人がやるような事を全力でやりこなしていた頃の抜群に可愛い篠原涼子さん✨#篠原涼子#ダウンタウンのごっつええ感じ pic.twitter.com/FjdXzr45G8
— DOWN TOWN BROTHER’S (@DOWNTOW01102506) March 1, 2020
アイドルグループ在籍中で未成年だった篠原涼子さんにとって、バラエティー番組とはいえ、叩かれたり突き飛ばされたり、無理やり押し倒されてキスや胸や下半身を触られたりということは黒歴史のはず。
ところが、これで篠原涼子さんの知名度が一挙に上がり、バラドル篠原涼子が定着したのです。
篠原涼子さんは『ダウンタウンのごっつええ感じ』のレギュラー出演は黒歴史ではなく、人生の転機になったと語っています。
今では篠原涼子さんにとって、ダウンタウンは芸能界の師匠なのだそうです。
篠原涼子の若い頃!バラドルからダブルミリオン歌手、大女優へ
篠原涼子、小室プロデュースで急展開
お笑い女芸人以上の扱いで知名度を上げることになった篠原涼子さんに急展開がやってきます。
それが、1994年の小室哲哉プロデュースによる「篠原涼子 with T.Komuro」のシングル『恋しさと せつなさと 心強さと』の発表。
驚異のセールス202.1万枚のダブルミリオンを記録し、その年の日本レコード大賞優勝賞、紅白歌合戦出場と歌手の篠原涼子として大ブレイク。
これまでセクハラでバラエティーど底辺の扱いだった篠原涼子とは全く違う姿から世間は驚かされたとか。
しかも、篠原涼子さんの歌唱力も凄かった。
この年に「東京パフォーマンスドール」を卒業し、これから小室ファミリーの一員としてずっとやっていくのかと思いきや、、
1995年の2ndアルバム『Lady Generation〜淑女の世代〜』を最後に小室哲哉さんから離れて単独での歌手活動に入ります。
しかし、ヒット曲もなく、ここから篠原涼子さんは歌手活動と併行して女優への道も模索し始めます。
篠原涼子、女優への大転身
そして、2001年に蜷川幸雄さん演出の舞台『ハムレット』に出演。
芝居の世界で注目されて、この辺りから篠原涼子さんの女優への大転身がスタートします。
役者に妥協を許さないことで有名な蜷川幸雄さんの厳しい指導も『ダウンタウンのごっつええ感じ』のNGなし?の経験も活かされていたのでしょうか。