抜群の好感度で奇跡の50代と言われる石田ゆり子さん。
若い頃はどうだったのでしょうか。
ジュニアオリンピックの水泳選手でデビュー当時はANAのキャンペーンガールだった石田ゆりこさんの若い頃をまとめてみました。
石田ゆり子の若い頃、水泳選手で台湾のナショナルチーム
石田ゆり子のプロフィール
- 本名:石田 百合子
- 生年月日:1969年10月3日生まれ(50歳)
- 出生地:東京都
- 血液型:A型
- 身長:164cm
- 職業:女優、エッセイスト、ナレーター、タレント
- ジャンル:舞台、テレビドラマ、映画
- 活動期間:1987年から
- 所属事務所:風鈴者
- 最終学歴:女子栄養大学短期大学
- サイト:Yuriko Ishida Official Homepage
石田ゆり子の若い頃、幼少期と台湾時代
石田ゆり子さんの家族は会社員(日本郵船)の父親と沖縄県石垣島出身の母親、そして姉に女優の石田ひかりさん。
東京で生まれましたが、幼少期は父親の転勤の関係で兵庫県の西宮市で暮らし、小学生時代も父親の仕事の関係から台湾の台北市で過ごしています。
石田ゆり子さんは水泳が得意だったそうで、ジュニアオリンピックの水泳選手として8位という成績を残しています。
ちなみに、妹の石田ひかりさんも台北市の水泳大会で優勝していて、石田ゆり子さんと一緒に台湾のナショナルチームに所属していたそうです。
石田ゆり子の若い頃、デビュー当時はANAのキャンペーンガール
台湾から帰国すると、妹の石田ひかりさんが二子玉川でスカウトされ、その1ヶ月後、石田ゆり子さんも自由が丘でスカウトされたそうです。
それが、偶然にも同じ芸能プロダクションのボックスコーポレーション。
そして、2人はほぼ同時期に芸能活動をスタート。
この時、石田ゆり子さんは高校1年生。
デビューは、1987年の全日空の沖縄キャンペーンガールです。
デビュー当時の石田ゆり子さんはテレビCM、ポスター、雑誌で頻繁に水着姿を披露しています。
石田ゆり子さんの水着姿を振り返るとスポーツ選手のような肩幅あるがっしりした体型。
それもそのはず、もともと水泳選手だったのですから。
石田ゆり子の40年ぶりの競泳
石田ゆり子さんが9歳のころから通っていた『田園スイミングスクール』を妹の石田ひかりさんと訪れて、姉妹と競泳した姿をインスタで披露しています。
私たち姉妹が子供の頃毎日毎日、魚になってしまいたいほど泳ぎ続けた懐かしすぎるスイミングスクール」懐かしすぎるスイミングスクール。
水泳を始めたのは わたしがまだ9歳の時。 妹はまだ幼稚園生でした。 あれから40年…‼️👏🏻😭 我々を育ててくれた スイミングスクールは、この度、新しく建て直されることになりました。
懐かしすぎるプール。 そして、コーチに会いに 当時の仲間たちが 集まりました。 選手時代を過ごした仲間たちと久々に(あまりにも久々に)泳いだ時間は まるでタイムトリップしたかのようでした。
田園スイミングスクール ありがとう。 わたしたちを育ててくれてありがとう。 あの頃の日々が わたしの基盤の全てを 育てました。
引用:石田ゆり子さんInstagram
集まった仲間でリレーの競泳が始まったそうです。
最初に泳いでる2人が石田姉妹で、手前が石田ゆり子さん、その隣が石田ひかりさん。
石田ゆり子の若い頃、ドラマや映画デビューの時期と若い頃の画像
石田ゆり子の若い頃、ドラマや映画デビューの時期
1988年11月にドラマ『海の群星』に出演し女優としてデビューした石田ゆり子さん。
1988年12月に公開された映画『悲しい色やねん』に出演。
1993年4月からの連続ドラマ『彼女の嫌いな彼女』で初主演。
2005年1月に公開された映画『北の零年』で第29回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。
デビュー当初はスカウトされたボックスコーポレーションに所属していましたが、1999年に妹の石田ひかりと一緒に個人事務所「風鈴舎」を設立して、石田ゆり子さんは社長兼女優として活動しています。
これまで、一度も結婚せずに悠々自適なセレブ生活を送っている石田ゆり子さん。
日本ジュエリーベストドレッサー賞にも2度受賞しています。
インスタグラムでも石田ゆり子さんの自宅の様子が披露されていますが、その中でもペットは頻出です。
ちなみに、名前が犬が雪、猫がタビ、ハニオ、はっち、みっつ。