163キロを記録した大注目の佐々木朗希投手(大船渡高校)にとっての「プロ野球ドラフト会議2019」
1位指名4球団(埼玉西武、東北楽天、北海道日本ハム、千葉ロッテ)の全てパリーグで交渉権は千葉ロッテが獲得。
一方、同じく注目の奥川恭伸投手(星稜高校)の1位指名3球団(巨人、阪神、ヤクルト)の全てセリーグで交渉権はヤクルトが獲得。
もともとプロ入り表明の際に「12球団どこでも頑張りたい」と全球団OKの姿勢を示しているた佐々木朗希投手なので、交渉権千葉ロッテが決定し「安心しました、云々、、」と千葉ロッテ入りをほのめかす優等生的な発言をしていたが、なぜか表情が冴えない。
対象的だったのが、奥川恭伸投手の満面の笑みだ。
中学から高校選択のときは自分の意志を貫いた
大船渡第一中学校時代
● 運動神経抜群で全てずば抜け、瞬発力があり足も速かった
● 野球の急速は未だ120キロ台だった素材の良さが光っていた
● 研究熱心で理想の投球フォームを探して常に実践していた
● 身長は入学時160cm台から三年間で20cm以上も伸びた
● 成長痛に悩まされ、三年生の直前に腰の疲労骨折が判明
● 最後の大会(中総体)は完治優先でドクターストップへ
● リハビリ後、Kボールの岩手大会を制し全国大会で140キロを出す
高校の選択に大きな決断
複数の強豪校から誘われていた
全国区では無名の佐々木朗希投手だったが、県内外の強豪校から既に誘いがあり、その中でも大谷翔平投手を育てた花巻東高校からの評価は特別なものだったとか。
● 花巻東高校(岩手県)
● 盛岡大附属高校(岩手県)
● 大阪桐蔭学園(大阪府)
迷いながらも自分の意志で最終的に地元の大船渡高校への進学を選択した。
大船渡高校を選択した理由
● 大船渡高校は兄が通った高校だったから
2011年の東日本大震災で父親と祖父母を津波被害で失って以来、兄が父親代わりとして母や二人の弟から頼られる存在となった。
その兄(大船渡高校野球部4番OB)と二人三脚で取り組んできた。
兄弟愛も原動力となっている。
● 大船渡第一中学の仲間と甲子園を目指したかったから
かつて、大船渡高校は1984年の春の甲子園で準決勝進出、秋の甲子園で一回戦敗退の歴史があり、復活劇を目指したかったのだろう。
ちなみに、岩手県の甲子園常連校は、花巻東高校、盛岡大附属高校の実質二強。
自分の意志で地元の大船渡高校への進学を選択し、有言実行、大船渡高校を甲子園大会岩手県予選決勝まで地元の仲間と持っていったのだ。
決勝では花巻東高校に敗退(佐々木朗希投手は登板せず)したが、選手と監督との信頼関係は普段からのもの。
大船渡一中や選抜チームで過ごした仲間と大船渡進学を決め、甲子園に挑む覚悟が芽生えた変化だった。
兄が野球で一番驚かされたのは右腕から繰り出すスピードではない。
高1の夏、盛岡北との2回戦。1点差の8回2死二、三塁から背番号20をつけてマウンドに立ったデビュー戦だった。「普通は1年生なら捕手に投げることで精いっぱいのはず。でも最初にしたことは、内外野の先輩たちと守備位置を確認したんです。自分のことだけでない、視野の広さはすごいなあと弟ながら感心しました。(その試合で)147キロを出したこともビックリでしたけれど」
同じチームで野球をしたのは兄が小6だった1年弱だけ。高校、大学に入っても、弟の結果は常に気になっていた。
勝てば良し、打たれれば残念。朗希の思考は違った。「5回無失点なら『すごいね』って言うし、3回までに3失点したと聞けば『残念だったね』って伝えるじゃないですか。
でも朗希は『無失点だったけれど、逆球ばっかりだったから悔しい』とか『3点は取られたけれど良い感覚でコントロールできていたし良かった』とか言うんですよね。
目の前の結果に執着せず、長い目で見て考えて、自己分析する能力が朗希の一番の長所だと思っています。
それがなければ140キロ台止まり。せいぜい150キロくらいだったんじゃないでしょうか」“父親代わり兄語る佐々木朗希素顔 自己分析力が長所”
引用:日刊スポーツ
成長の過程で心身ともに論理的で、まさにプロ意識につながるような取り組みが始まっていたようだ。
何れにしても、地元の高校進学に拘った深層には、2011年の東日本大震災から家族と地元への募る思いがあったはず。
これまでとは違うプロの選択
163キロを誇るだけでなく多くの球種を持つ特別な右腕。
しかし、甲子園での実績がないことや、やや体の線が細いことから(中学時代の疲労骨折や高校時代の決勝登板を控えるほどの負荷など)、将来に向けて未知数なところを大切に育てていかなければならないと誰もが感じている。
また、”日本球界のためにも責任を持って育てるには覚悟がいる”とも言われていた。
ここで、文春オンライン編集部がドラフト会議前にとっていたアンケート結果とそれに対する槇原寛之さん(元巨人投手)のコメントが興味深い。
10月17日に行なわれるドラフトの目玉候補、大船渡高(岩手)の佐々木朗希投手。
『文春オンライン』では「佐々木投手にどこの球団に行って欲しい?」という緊急アンケートを実施。
「行って欲しい」1位が日本ハム、2位楽天、3位が巨人、阪神で並ぶという結果だった。1981年のドラフトで巨人に指名され、高卒ドラフト1位でプロ入り。
通算159勝、1994年には完全試合を達成した槙原寛己さんにこの結果について感想を聞いた。日本ハムが「佐々木投手に行って欲しい球団」1位というのは妥当だと思います。日ハムには実績がありますから。
ダルビッシュ有(カブス)にしても、大谷翔平(エンゼルス)にしても、「その年のドラフト人気1番」と言われる選手を指名して、きちんと育てて結果を出してきた。その姿勢がプロ野球ファンから評価されたんでしょう。特に大谷に関しては賛否の分かれた二刀流を見事に実現させました。
プロ野球では前例のないことですから、とても難しかったと思います。
それを形にして、メジャーへの道を作った。
球団として育成能力が高いことを証明していると思います。私自身、佐々木投手は素晴らしい素材だと思います。
もちろん一番の魅力は163kmを記録したストレート。
これは生まれもった素質です。また腕の振りが速く、190cmの高身長から投げ下ろす、角度のあるスライダー、フォークなど変化球もいい。
コントロールを磨けば、どの球団でも十分にローテーションを担える逸材です。ただし佐々木投手自身が12球団OKと言っても「即戦力で考えない」チームに行って欲しいと思っています。
私は愛知県の大府高校を卒業して、1982年に巨人に入団しました。
その後、1年目は2軍でしっかり走り込んで体を作った。
2軍戦で良いピッチングをしたときもありましたが、1年目は1軍に上がることはありませんでした。
プロに入って最初に大事なことは「下半身づくり」と「頭」。
頭というのは考え方のことで、私も「君はまだまだ1軍でやる力はないんだ」というふうにしっかり教育されました。
結果としてそれが良かったのだと思います。佐々木投手も1年目から「2軍で良かったら、1軍で投げさせてみよう」というチームではなく、しっかり育成ビジョンを持っているチームが良い。
中途半端に1軍に上げてしまうと「俺は1軍の力があるんだ」って勘違いしてしまいますから。今シーズンの後半戦を見ていると、どこのチームも先発が足りず、ピッチャー事情は決して良くなかった。
このドラフトでは「即戦力」が求められる傾向が強くなるでしょう。高卒の有望な選手に向いている球団は……
そういう意味で高卒の有望な選手に最も向いているのは「優勝したてのチーム」。直近で結果を出していますから「優勝を焦らない」、つまり選手起用にも余裕が出てくる。
今年で言えばリーグ優勝した「巨人」「西武」、あるいはパ・リーグでCSを制覇した「ソフトバンク」あたりですね。
チーム事情で結果を焦るあまり、早く出してケガの多いピッチャーになる。
まずそういうことを避けて、育成のビジョンを描き、下半身を鍛え、体を作れば佐々木投手はきっと大成するでしょう。さてアンケートの「行って欲しい球団」3位に私の古巣「巨人」が入りました。
「そろそろ巨人にもこういうドラフト目玉候補を獲得して欲しい」というファンの声もありますが、球団OBとして私もつくづくそう思っています。
最近はドラフトのくじ運が悪く連敗が続いていますから。近年の巨人では高卒選手が活躍するケースが少ないのは事実ですが、2軍の施設も刷新の予定がありますし、2軍にはいい選手も育ってきています。
佐々木投手もそういう選手たちと一緒にもまれる機会があれば、巨人も面白いと思いますよ。今年は、星陵高(石川)の奥川恭伸投手もどこに行くのかなと楽しみにしていますし、あるいは来年のローテーションを考える球団であれば明大の森下暢仁投手という選択肢もある。
17日のドラフトが楽しみですね。引用:「文春オンライン」編集部 2019/10/16
やはり、北海道日本ハム、東北楽天、あるいは投手陣に余裕のある成績上位球団となる。
世の中的にも言い換えれば佐々木朗希投手に行って欲しくない球団、それが千葉ロッテであったとは。
千葉ロッテも”日本球界のためにも責任を持って育てるには覚悟がいる”ということを承知の上で1位指名したはず。と思いたい。