裏方として安倍政権を支え、影の総理と囁かれてきた菅義偉官房長官。
地味で華のない外見とは裏腹に、かなりファンキーで野心的な人物のようです。
秋田から高卒で上京し好きなことをやりたいと段ボール工場に集団就職、菅義偉官房長官の若い頃、学歴についてまとめてみました。
菅義偉官房長官の若い頃が凄い!段ボール工場に集団就職
菅義偉官房長官の生い立ち
秋田県の雄勝郡秋の村(現在の湯沢市秋の宮)の農家の長男として1948年12月6日に誕生。
父、母、姉2人、弟1人の6人家族で、実家は父親が『秋の宮いちご』をブランド化したいちご農家。
生前、雄勝町議会議員や湯沢市いちご生産集出荷組合組合長なども歴任している地元でも著名な人。
そして、母親は教員の仕事をしていて、2人の姉も高校の教員になるなど、ある程度裕福で保守的で真面目そうな家庭で育ったようです。
ただ、菅義秀官房長官の学生時代、学校の教員にだけはなりたくないと思っていたようで、長男にも関わらず家を出て上京してしまいます。
保守的なことが嫌いな野心的性格だったのでしょうか。
菅義偉官房長官の学生時代
菅義秀官房長官の学生時代に通っていた小中学校は、雄勝町立秋ノ宮小学校(現、湯沢市立雄勝小学校)、雄勝町立秋ノ宮中学校(現、湯沢市立雄勝中学校)。
高校も地元の秋田県立湯沢高等学校。
2020年度の偏差値は53、秋田県内100校中13番目。
地元の高校といいながら2時間かけて通学していて、同じ湯沢市でも実家はかなり田舎の方だったようです。
湯沢高等学校の野球部は秋田の名門校でもあります。
そして、大学、、
父親からはいちご農家の後継者として道府県農業大学校に行くよう勧められ、これを断り、
教員になるために2人の姉が進学した北海道教育大学への受験についても断ったのだとか。
過去に週刊誌から北海道教育大学の受験に失敗していると報じられていますが、本人はこれを否定してこのように語っています。
北海道教育大を受けた事実はまったくありません。
姉だけでなく、叔父や叔母など親戚が教師だらけだったので、それだけはなりたくなかった。
かといって、農業を継ぐのも嫌でした。
(菅義偉)
引用元:SAPIO 2015.09.20
長男として地元で父親の仕事を継ぐことも、母親や姉や親戚と同じように教職につくこともキッパリと断れる性格も凄いですが、
東京に行けばいいことがあるんじゃないかと逃げるように上京してきたという、当時の時代感からしても菅義秀官房長官の若い頃はファンキーな人だったようです。
菅義偉官房長官は段ボール工場に集団就職
両親の勧めを断り大学には進まず、秋田から集団就職で東京で就いた仕事が段ボール工場。
上京し働き始めた頃のことを振り返ってこのように語っています。
東京で自分の好きなことをやろうっていう程度でした。
そこで初めて、現実がいかに厳しいかに気がついたわけです。
私が一番思い出したくない青春です。
そうして、やっぱりどこかの大学に入らなきゃまずいなと思いはじめたのです。
(菅義偉)
引用元:SAPIO 2015.09.20
そして、上京から2年が経ち、一念発起で大学進学を試みたのだそうです。
菅義偉官房長官の若い頃が凄い!最終学歴は?
菅義偉官房長官、法政大学の夜間へ一念発起
学費が安かったという理由から法政大学の第二部(夜間大学)に進学したそうです。
学費というなら国公立大学の方がいいわけですが、偏差値との関係もあったのでしょうか。
学科は第二部(夜間大学)の法学部政治学科。
政治学科といっても当時は政治を目指していたわけではありません。
現在、法政大学の第二部は廃止されていて存在していません。
ちなみに、明治大学、中央大学、青山学院大学にも有名大学の駆け込み寺として二部(夜間大学)が設置されていましたが、同じように現在は廃止されています。
そして、大学を卒業し、晴れて建電設備会社に一般就職。
菅義偉官房長官、この世の中は政治が動かしている
しかし、その2年後、政治家になろうと決めて政治家の秘書になったわけです。
その時のことをこのように語っています。
本を読んでふらふらしながら考えているうち、この世の中は政治が動かしてるんじゃないか、と気がついたとでもいえばいいでしょうか。
(菅義偉)
引用元:SAPIO 2015.09.20
財閥や二世議員に高学歴官僚からなる政治の世界で、叩き上げでここまで上り詰めてきた菅義偉官房長官。
若い頃から外見や表向きは地味でも、内心はかなりファンキーな野心家のようです。
しかも、あまり深く考えずに行動してしまうところも意外です。
少し前までは『令和おじさん』、今は『ポスト安倍』ですからこれはさらに凄いことです。