東京都知事・小池百合子さんのリーダーシップに都民だけでなく国民の注目も集まっています。
小池百合子さんの結婚歴と結婚観、エジプトでの学生結婚・離婚バツイチとは、今の家族のことなどをまとめてみました。
小池百合子の結婚歴
小池百合子、幼少期のガールスカウト
生年月日:1952年7月15日(67歳)
出身地:兵庫県芦屋市
衣類関連の貿易商の裕福な家庭で、いわゆる芦屋のお嬢様として誕生。
幼少期から活発な女の子だったのでしょうかガールスカウトに入っていたそうです。
ガールスカウトのモットーが「備えよ常に」
このモットーが小池百合子さんの座右の銘になっているのだとか。
進学は、芦屋私立岩園小学校、甲南女子中学校、甲南女子高等学校とまさにお嬢様街道ですが、
幼少期から活発なタイプで、在学中はテニス部、ソフトボール部とESS(英語研究会)を掛け持ちするなど人一倍アグレッシブな生徒だったようです。
母の教えが「自分の好きなことをしなさい」
小池百合子さんが母親からの教えについて語っています。
子どものころ、母は自分で私の洋服を縫ってくれました。
今ちょうどNHKのドラマのモデルになっている神戸三宮のファミリアというお店に行って、かわいい服があるとそれをヒントに私に似合う服を手作りしてくれたんです。
「はやっているものを着ても似合うとは限らない、だから作ってあげる」と。
そういう母に、「自分の好きなことをしなさい」と言われて育ちました。
母も戦時中は厳しい生活を強いられた女子学生で、やりたいことができなかった。
でも今は違うのだからと、すごく励ましてくれました。
芦屋の裕福な家庭というと、全てお金で解決するイメージを持たれそうですが、母親が洋服を手作りしてくれていたとは小池百合子さんの家庭の品の良さが現れています。
そして、母親から「自分の好きなことをしなさい」と言われて育ったという小池百合子さんの大胆なチャレンジの影には母親の励ましもあったのですね。
入学した大学を中退してまでエジプトの大学に進学しようとするなんて、かなり大胆なチャレンジだったはず。
貿易商だった父親の取引先がエジプトだったそうですが、1971年という時代を考えると凄すぎますね。
小池百合子さんのルーツは幼少期からの母の教えにあったようです。
小池百合子のアグレッシブな学歴
甲南女子高等学校を卒業した小池百合子さん、関西学院大学社会学部に進学します。
関西の名門私立大学です。
ところが、アラビア語の通訳を目指すとして大学を中退してしまうのです。
その当時のことを小池百合子さんが語っています。
私は結構、外に目が向いていたので、何か海外とつながりのある仕事ができたらいいなと思いました。
それで英語を極めようと思っていた高校生のとき、アポロ11号の月面着陸の様子を見たんです。
これは小池百合子さんが高校生のときの話だったのですね。
アポロ11号とNASAとの交信は、ただでさえガーガーと雑音が入って聞き取りづらいのに、同時通訳の方が専門用語も交えながら、それはもうよどみなく通訳していた。
英語はいろんな方がやっているから、ここまでのレベルに行くのは私には無理!と思いました。
じゃあ他の言葉をと思ったときに、これから必要とされるだろうけれど、まだあまり人がやっていないものということで、アラビア語を選びました。
高校時代から英語ではなくアラビア語で勝負しようと考えていたとは、、
そして、小池百合子さんがアラビア語の通訳を本格的に目指したきっかけが「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」という新聞記事を目にしたことだそうです。
これからはアラビア語の時代だと確信し、関西学院大学を中退してエジプトのカイロ大学に進むことを決めてしまったそうです。
この小池百合子さんの決心への母親の励ましについて触れています。
あっさり「行ってらっしゃい」でした。「卒業するまで帰ってくるな」と。
そして、1971年9月に関西学院大学を中退。
直ぐにエジプトのカイロ市にあるAmerican University in Cairoでアラビア語を習得し、1972年にカイロ大学文学部社会学科へ入学。
当時の学外エピソードにも小池百合子さんは触れています。
最初に1000ドルを持たされて行きましたが、下宿代を払っているうちにだんだんなくなってしまい、観光ガイドのアルバイトを始めました。
今から48年前のエジプトの下宿とはどのようなものだったのでしょうか。
しかも、現地でアルバイトとは。
小池百合子さんが当時の観光アルバイトのエピソードも披露してくれています。
何千人という日本からの観光客を、ピラミッドやルクソールなどにご案内するんです。
そこで私は、「この方達は恐らく一生に一度しか来られないのだろうから、感動を持って帰っていただきたいな」といつも思っていました。
町の中心からピラミッドまで20キロくらいあるのですが、途中から田園風景になって、ヤシの木が並ぶ道のある場所にさしかかると、バーンとピラミッドが見えてきます。
そのタイミングをよく計って「さあ皆さん、左手をごらんください!」と案内する。
そうやってからエジプトの古代遺跡について説明すると、皆さん感動していました。
ピラミッドの天辺でお茶をたてている小池百合子さんの一枚の画像が公開されています。
何があったのでしょうか。それにしてもこの格好は一体なんなんでしょうか。
どうやら、カイロ大学の卒業記念としてピラミッドに登ったのだそうです。
エジプトで最大のクフ王のピラミッド、高さ147メートル。
世界遺産のピラミッドは登頂禁止のはずですが、当時は毎年ピラミッド早登り競争が行われていたそうです。
しかし、ピラミッドの頂上で着物姿でお茶をたてている理由は不明でした。
そして、小池百合子さんは1976年にエジプトのカイロ大学を4年で無事に卒業します。
カイロ大学は4人に1人が留年するという卒業が難かしい大学だそうです。
ところが、小池百合子さんにはエジプト在学中にカイロ大学で知り合った学生と結婚していたという驚きの事実がありました。
小池百合子、夫はカイロ大学で学生結婚
小池百合子、エジプト・カイロ大学で学生結婚
小池百合子さんがカイロ大学に入学し2年が経った1974年(当時22歳)の時に3歳年上の日本人留学生と学生結婚。
プロポーズをしたのは小池百合子さんの方だとか。
2人の交際が始まったのは結婚する1年前の1973年。
これは第4時中東戦争が勃発した年で、戦時下にある食糧難のエジプトで小池百合子さんと交際相手の2人は部屋の中でナツメヤシと日本茶だけで数日過ごすこともあったのだとか。
戦時下という特殊な環境での同棲生活が学生結婚に仕向けたのでしょうか。
当時の心境を小池百合子さんが語っています。
留学中の心細さもあり、とても頼りになる相手でした。
ちなみに、小池百合子さんが「仙人」と仰ぐカイロ大学の日本人初の卒業生の小笠原良治さん(大東文化大学名誉教授)が新婚生活を送る2人の自宅を訪れたことがあるそうです。
当時の2人の様子を小笠原良治さんが少しだけ語っています。
私が大学を卒業した後にカイロの彼女の一軒家を訪れた時、カイロ大学に通っていた旦那さんとも会いました。
小池さんと違い彼は大学生活に苦しんでいるようでした。
「先生は卒業して羨ましいな」と何度も言われたのを記憶しています。
小池百合子さんが22歳で夫が25歳、とはいえ学生結婚。
下宿を離れて一軒家で新婚生活がスタートしたようですね。
ただ、小池百合子さんが卒業に向けて快活な大学生活を送る一方、夫はすでに留年していて大学生活に苦悩していた様子がうかがえます。
ちなみに、ネット上には小池百合子さんの元夫が韓国人だと噂されていますがこれはデマかと、、
小池百合子、在学中に離婚でバツイチ
しかし、結婚生活は長くは続かなかったそうです。
2人が一緒に暮らしていたのがわずか1年余り、それから別居して結婚後3年のスピード離婚。
離婚の理由は、カイロ大学で留年していた夫が卒業を諦めて、サウジアラビアに移住し就職することにしたからだそうです。
夫は小池百合子さんにカイロ大学を退学して一緒にサウジアラビアに来てほしいと求めたそうですが、小池百合子さんはカイロ大学の続行を希望したため、別々の道を進むことになったそうです。
2人に子供なく離婚となりましたが、小池百合子さんはこの結婚について語っています。
それでも感謝しています。
結婚生活を経験したことで、その後の人生で、焦ることもありませんでした。
ただ、子供がいたらよかったと、今になって後悔はあります。
もし、そうであったなら、私の人生も大きく変わっていたでしょう。
小池百合子、離婚後の結婚観
小池百合子の結婚観と家族観
「WOMAN EXPO TOKYO 2016 Winter」小池都知事基調トークショーで自身の結婚観や家族観についても触れています。
私は仕事として、通訳、それもアラビア語などというちょっとニッチなものを専門にしました。
とはいえ日本の政治経済が揺らぐときって、大体震源地はあっちのほうなんですよね。
中東戦争が起きたり、石油価格が跳ね上がったり。
そういう中で、アラビア語通訳というのは自営業なんです。
どこかに所属するということではなく、自分でマネージができる。
なぜそうしたかというと、男女雇用機会均等法なんていう言葉さえなかったかつての日本の社会というのは、女性が自分のやりたいことを実現するのが難しかった。
親のコネでどこかに入社しても、寿退社でさようならです。
そんな現実を見たうえで、一生続けられて、自立もできる仕事は何かと考えたときに、自分の力でやっていく「包丁一本」の世界を選んだというわけです。
途中で結婚もしましたけれど、仕事のほうが面白くってさっさと別れちゃいました。
でもね、やはり子どもが欲しい時期は当然ながらありました。
今になって後悔する部分はありますから、どうぞ皆さん、遅過ぎないうちに家族というのは大切になさったほうがいいなとは思っています。
小池百合、学生結婚(離婚)後の結婚意思は
小池百合子さんの結婚は今から45年も前の話し。
結婚(離婚)の後、また結婚しようと思ったことは? 今後、結婚することはあるのか?などの質問が取材でなされて、これに対して小池百合子さんがコメントしています。
2016年にされた取材ですから、ちょっと失礼な質問では、、
それはないですね。
今私がなすべきことはたくさんありますので、優先順位が違うという感じです。
小池百合子、今の家族は
小池百合子の今の家族、暮らしは
小池百合子さんは離婚後は独身できましたから、長く一人暮らしをしてきたのでしょうか。
調べてみると、母親の存命中は一緒に暮らしていたのですが、現在は一人暮らしが危険なことから同居人がいるそうです。
それが、小池百合子さんの秘書の従兄弟夫婦とその子供2人、そして住み込みの家政婦さん。
賑やかな6人暮らしです。
そして、小池百合子さんには愛犬がいて「ソウちゃん」「総ちゃん」という名前のヨークシャテリア。
総理大臣からとって「総ちゃん」。
国政への野心が愛犬の名前になるとは、、率直ですね。
一緒に住んでいるのは、いとこで秘書をしているMさん一家ですよ。
Mさん夫妻は3歳と1歳のお子さんがいる4人家族で、小池家の1階で暮らしているんです。
そして中2階には、すでに14年ほど住み込みで勤めている家政婦さんも住んでいて、小池さん本人を含めて“家族6人”で共同生活しているんです。
(小池百合子さんの知人)
小池さんは、Mさん夫婦の子供たちを自分の孫みたいに可愛がってます。
いつもMさん家族と家政婦さんと同じ食卓を囲んで食事をするんです。
ヨークシャテリアを飼っていて、総理大臣になりたい野望から「そうちゃん」と名付けて、かわいがっています
(小池百合子さんの知人)
小池百合子さんの暮らしぶりについてご近所の70代主婦が話しています。
4月ごろだったかしら、近所のスーパーで小池さんとバッタリ会いました。
秘書らしい女性と一緒でしたが、買い物カゴを持っていたのは小池さん。
笑顔で挨拶してくれました
(近所の70代主婦)
2016年の少し古い情報ですから現在の暮らしぶりとは少し違っているかもしれませんが、、